記事には賞味期限があるので独断で消去しています。ご了承ください。


by ninpu_ninjya

■魂の兄弟makoさんがyoutubeに新エントリーをしてました。2ケ月ぶりですね。

https://youtu.be/bd-ZO6Oh8ZA

■ひさしぶりにmakoさんと対話したので、そのあらましをお伝えします。

ぼく「makoさんのyoutube、ピアノの即興演奏は酔狂にもほどがあって、非常に評判が悪いようですね。だいいちmakoさんはピアノがヘタクソでしょう。致命的じゃないですか」

mako「いや、待ってくれ。確かにあの即興演奏は評判が悪い。お前には才能がないし、聞きぐるしいからやめておけ、って親切に言ってくれるヤツが多いよ」

ぼく「そうですよね…」

mako「さて考えなおすのはどっちかということを俺がはっきり教えてやらなければいけないな」

ぼく「と言うと?」

mako「どれだけヘタクソな即興演奏も2回目に聞くときにはれっきとした音楽になっちまうのさ。それが音楽のふしぎだぜ」

ぼく「はあ、おっしゃっていることがよく…」

mako「だから最低2回は聞いてみろって言ってんだ! お前、1回目で聞きはじめて、ツマラネエっつってすぐに聞くのやめた口だろ!」

ぼく「ツマラナイというのは適切な形容じゃなく、えっと、そうですね、イケテナイ、ですかね」

mako「ハハハッ、音楽がイケテルもんだとでも思ってるのか?」

ぼく「イケテナイとわざわざ聞く動機がないんじゃないかと」

mako「馬鹿め!これだから困るんだ。いいか、俺の音楽はな、タモリがやるチック・コリアみたいなもんだぜ」

ぼく「え? というと、ものまねですか?」

mako「ものまねがイケテル?答えはノーだ。だろ?」

ぼく「じゃあmakoさんは誰のものまねを?」

mako「それは俺にもわからねえだけどな」

ぼく「んんん、やっぱりおっしゃっていることがよく…」

mako「馬鹿!ものまねはたとえだよ。まがいものが本物以上に本物らしくなることってあるだろ」

ぼく「へえ、でも、あれじゃあ正真正銘のまがいものとしか思えませんよ」

mako「お前はよく聞いてねえんだって。魂の兄弟なら俺の魂の声を聞けよ!」

ぼく「魂の声ですか…」

mako「たとえだよ」

ぼく「またたとえですか…」

mako「だーかーらー魂の声って言ってんのはさあ、俺の音楽ってことじゃん!」

ぼく「…」

mako「音楽は魂の芸術だろ?」

ぼく「えっと、音楽はどちらかというと徹底的に数学的で構造的な芸術じゃないかと」

mako「うんまあ難しいことはわからねえけどな。そういう言い方をしてもいいよ」

ぼく「え?じゃあ魂はどこに?」

mako「めんどくせなー、耳の穴かっぽじって聞きゃあいいんだよ。ヘタクソなのを我慢して聞くんだよ。アマチュアの音楽なんだからヘタクソなの当たり前だろ。でも魂は聞こえるかもしれねえだろ。誰だって他人の魂に触れたいだろ。そんなら俺が実験台になってやるって言ってんの。ピアノなんか俺の生活には贅沢だからな、月に1回音楽教室借りてたまったもん吐き出してんの。そこじゃん。魂出そうなタイミングじゃん。俺狙ってんのそこだから」

ぼく「おおざっぱ(笑)makoさんってなんでそうなっちゃったんですか?むかしはガチの西欧古典音楽主義者だったのに」

mako「俺にもわからねえ。魂がそうさせたんだな」

ぼく「また魂(笑)もうお腹いっぱいです、ありがとうございました!」


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# by ninpu_ninjya | 2016-09-25 01:40 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

■排外主義の批判についてつねづね思っていたことを書きますけれども、ぼくとしてしっくりくるのは実は、品格における下劣という観点なんですよね。だからこういう批判を口に出してするとミイラ取りがミイラになってぼく自身も品格において下劣になってしまうので容易に批判できないという構造のなかをぼくは生きております。■何が言いたいかと言えば、国家というものはそもそも排外的なのではないかということで、領土にも資源にも財源にも限界があるのだから、人口が急激に増加すればそれまでのシステムでは支えきれなくなるのは自明で、だからある程度ひとの流入を制限せざるをえないわけで、国家内の安定を守ると言えば聞こえはいいが、言い方をかえれば必然的に排外的だということでしょう。日本の排外主義のひとたちはとりわけエスニシティの問題を遡上にあげて批判する、とりわけ中国や韓国という極東アジアの隣人に対して差別しがちだけれど、それは国家の特性に対して過剰なくらい意識的でいる態度だと考えてみることができます。領土や資源や財源といった物理的要因だけでなく、歴史という時間軸が入ってくるので、ここでは中国や韓国に(地域的だとしても過去に日本による統治経験があって近づきすぎてしまったがゆえにのちのちまで互いに憎悪をひきずってしまった間柄の国に)敏感に反応してしまう。歴史を取りあうというのは、物理的要因にくらべて奇異に聞こえるかもしれないけれど、国家の歴史は国民のアイデンティティと密接にからみあっているので、誰が日本人で誰がそうでないか、という神経質な線引きをおのずと呼びよせてしまうというわけです。■排外主義は国民国家を生きている限り、当然出てくる主張のひとつにすぎず、いままるで全世界的に排外主義の機運が高まっているように見えるかもしれないけれど、各国の具体的な事情はべつべつにあって、格差社会や難民問題によってナショナリズムの触覚が刺激されざるをえない状況に陥っているので、政治の局面で問題解決を率直に主張すると排外主義的言説に聞こえるというだけで、単に排外主義を反対しているのでは問題を解決しない態度と同じになってしまうという難しさもあります。■簡潔に言って、300人の難民を受けいれればよいと言えば、いや1000人くらいという意見があるだろうし、労働力のためにもっともっとという声があってもおかしくない(それは経営者感覚に傾きすぎていて危険だと思うけれど。労働者が無用になったあとの移民の生活について誰も考えていないので。固有のエスニシティをもった彼ら彼女らにとって日本の生活が快適であるとは必ずしも言えないでしょう)。ここで難民を受けいれないという排外主義の問題は、受けいれの程度問題に転化されてしまう。100人しか受けいれなければ排外主義的で、1000人を受けいれればそうではない、という論理は、どうでしょう、ぼくには説得的に聞こえない。それは国民国家である限り、絶対的な寛容主義などというものが存在しないからで、日本人であるとはおのずとそうでないひととの線引きを内包するし、意識にのぼらせるかどうかとはべつに国民は誰しもある程度は排外主義的だからではないでしょうか。いくら難民を受けいれても(ぼくは現在よりはもっと受けいれるべきだと考えています)、排外主義そのものは決してなくならない、どころか、目の前の社会に移民が増加すれば過激化するおそれも十分にあります。■もちろんぼくの主張は差別行為を肯定しません。近代社会の価値に基づく公平性に照らして不当な差別行為は批判されるべきだと考えますが、その指摘は排外主義の問題と重なっているようで、微妙にズレているとも思っていて、排外主義でなくても差別をするひとはいるし、逆に政策上明らかに排外的言説の立場にあるのに私生活のふるまいにおいて寛容なひとはいくらでもいるでしょう。排外主義と差別行為の次元をわけて考えたほうがいい。国家はそもそも排外主義的だと自覚しても、だからといってただちに国民が差別行為に走るわけではないのを考慮すれば、この区別は当然だとぼくには思えます。■そこで問題は、国家の本質であるところの排外主義ではなく、自覚的か否かにかかわらず私生活でのふるまいの品格のほうということになり、後者のなかで差別行為が出てくる。品格における下劣と言ったのはそんなわけでした(何度も書きますがそう批判するとぼくも下劣になってしまうのですが)。■民進党党首になった蓮舫の二重国籍問題は、報道を追う限りなんの問題もないように思えましたが(彼女は単なる日本国籍者だった)、よくわかったのはいかに日本人がエスニシティの混合について敏感かということでした。将来総理大臣になりうる地位である野党第一党の党首ということで過剰に神経質に受けとられた面もありますが、これも私生活におけるふるまいの問題ととらえたほうがよい、というのがぼくの考えです。排外主義によって二重国籍かもしれない有力政治家を非難するならば、彼女の政治行為によって日本がどのような不利益を被るかを言わなければ成立しないでしょう。しかしそんな不利益を具体的にあげる論者はおらず、「二重国籍者には日本の国政をあずかる資格がない」といった感情的批判がなされるばかりなのでした。言いかえればそれは、出自の要請からふたつのエスニシティ(民族性)を引きうけた者に対する差別意識のあらわれです。■私生活におけるふるまいのなかの差別意識、ここでは複数のエスニシティを引きうけた者に対するそれですが、多くの場合意識化されていないこの種のふるまいを、変革できるとすれば、教育機会による認識変化のうながしによるでしょう。よく言われることだけれどぼくも重視しているのは、そう呼ばれることを当人にどう感じられるかわかりませんが、蓮舫はいわゆるハーフですが、中国系(あるいは台湾系)日本人と言いうると思います。同じように韓国系日本人、ブラジル系日本人、フランス系日本人、アメリカ系日本人、カナダ系日本人……と実際に多様に存在するわけですが、日本社会のなかではあまりこういう言い方の慣習がない。何をもって日本人と言うかは一概に定義できないですが(国籍、言語、移住地域、アイデンティティなどいくつか基準がありえます)、系日本人と自他ともに呼称するだけで、エスニシティの次元と日本人であるアイデンティティを相反しないふたつの要素ととらえることができます。■それで言えば、多くの日本人は日本系日本人だけが日本人だと思っているふしがある。国家の排外主義を意識化してそう主張するひとたちは多分に自覚的ですが、無自覚に私生活のふるまいにおいてそう信じこんでいるひとがいるとしたら、それは事実認識を誤っているだけでなく、エスニシティの混合への差別意識(純血志向と近接しているかもしれない)を温存する可能性があります。つまり私生活のふるまいにおける品格の下劣を助長してしまう可能性があって、帰化による国籍取得者数に対して国籍離脱者や国籍喪失者が多いのも日本系日本人のふるまいに潜んだその種の差別意識と関係しているように思えます。社会の多様性を主張するのならばまずはここからかなと思います。■と言って、私生活のふるまいに隠されたエスニシティの混合への差別意識が解決しても、国民国家の本質的な排外主義は国民国家である限り決してなくならないのは言うまでもないです。アメリカにおける現在まで続く黒人差別(私生活のふるまいに潜んだ差別意識)と、国民国家の本音をぺらぺら言ってしまうトランプの出現(国民国家の本質としての排外主義)を考えれば、前者がなくなっても後者はとくに国内情勢が困窮すればいつでも出現しうるのは自然です。


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# by ninpu_ninjya | 2016-09-24 15:59 | 社会 | Trackback | Comments(0)

■アンドリュー・ニコル『ドローン・オブ・ウォー』。『ガタカ』や『トゥルーマンショー』で知られるニコルは、傑作ばかりつくっているとはとても言えないけど、科学技術の発展と時代の変化をとらえた秀作をつくり続けていて、気になる映画監督のひとり。『ドローン・オブ・ウォー』はその名の通り無人攻撃機による戦争のあり方を描いた映画で、原題はGood Kill。■ドローンを使った遠隔操作による空爆については以前に戦争倫理として問題があると書いたことがあるけど(その記事はすでに消去してしまったが)、ドローンを中心的題材にしたフィクションをぼくは初めて見た。知人に聞いたところによると、以前からドローンによる戦争を描いた映画はあるようなのだが。■『ドローン・オブ・ウォー』ではアメリカにいながら無人攻撃機「MQ-9リーパー」でアフガニスタンへ空爆する軍人男性の苦悩に焦点が絞られている。イーサン・ホーク演じるトーマス・イーガン少佐は戦闘機パイロットの経験があったが、無人攻撃機に配属されてから次第に精神を病んでいく。遠隔操作なら操縦士が身体的損傷を決して負うことがないというだけでなく、高度3000メートルから高精度のカメラで標的をとらえるため空爆を受けるひとたちは無人攻撃機を視認できない。どちらの要素においてもあまりに非対称的戦闘行為で、全知全能的鳥瞰の立場に鎮座できるアメリカ軍のドローン操縦士は卑怯と罵られても仕方がないだろう。それはまるでゲーム感覚の殺人行為で、アフガニスタンから1万キロメートルも離れたアメリカの無機質なコンテナのなかからドローンの視野をモニタリングして空爆しているので、殺人の現実感覚を喪失するほうが当然と思えるほどで、実際にそんなことがあるかどうかはべつとして(いやあるのかもしれないが)「ゲームセンターで優秀なやつを採用してきた」なんて台詞も出てくるのだが、その仮想現実的な現実の戦闘行為のなかで飛行機乗りの男がヒロイズムを喪失する物語に仕上がっていた。■同監督『ガタカ』で主演したイーサン・ホークの再登場とあって、ピンと来るひともいるだろうが、『ガタカ』で描かれた宇宙飛行の夢のために虚構を貫徹するセンチメンタルなマッチョ志向が、『ドローン~』では機能不全に陥っている。悪の一掃という正義のために科学技術による拡張現実的半虚構を用いると、目的の達成以上に卑怯の悪徳へ陥って精神を負傷するというわけだ。ここで虚構の位置づけは反転し、マッチョ志向の夢をくじくものでしかなくなってしまう。映画中盤からCIAの特殊任務が浮上し、正義を保障するはずの戦争倫理の欠如があらわになると、ヒロイックでマッチョ志向の(ということはその背後に勇敢という伝統的美徳があっていいわけだが)軍人はいよいよ生半可な虚構に身を浸しているのに耐えられなくなるだろう。■拡張現実的半虚構に操縦士を拘泥させる無人攻撃機による空爆では戦闘相手との技術的非対称ゆえにヒロイックなマッチョ志向をもっていればおのずとその価値は消極的にならざるをえず、美徳を貫徹できるほどの筋の通ったリアリティのなかで軍人を生きさせてくれはしない。拡張現実的半虚構のなかで彼なりの正義を追求しても愚かしいものでしかないのも自明で、正義を支えてくれる戦争倫理をますます私的で恣意的なものに矮小化してしまわざるをえず(彼が行った「正義」を見よ)、最後の最後に彼の乗った車をとらえる視点が機械的にズームするのは、物語内意味とはべつに、映画を見るぼくの眼も拡張現実的半虚構に依存しているにすぎないと異化させると同時に、その種の観客の眼が戦争犯罪を起こさせるのを示唆しているようでさえある。非戦闘地域に住む多くの住民がそうならざるをえないだろう、戦争の現実を半虚構を通してしか決して見ないその眼が、はからずも問われてしまった。■ニコルは以前にも『ロード・オブ・ウォー』という戦争商人の映画をつくっている。現実の取材に基づくこれらの戦争映画は、『トゥルーマンショー』や『シモーヌ』のメディア批判路線と、『ガタカ』や『タイム』のSFエンタメ路線の交差点に位置すると考えてもいいかもしれない。報道では知りえない戦争実態を明らかにするメディア批判と戦争のあり方を変える先端技術への着眼点の両者が、登場人物の少なさから言ってもささやかな作品と思える『ドローン~』に確かにまとまっていたと思う。


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# by ninpu_ninjya | 2016-09-23 19:44 | 映画 | Trackback | Comments(0)

世迷言政談20160921

■前の記事でロシアのことを書いていたら、919日にシリア北部アレッポ県で国連機関やシリア赤新月社の人道支援車両が空爆にあって、アメリカ国防総省がロシア軍かシリア軍のしわざと発表し、ロシア軍は関与を否定している。この事件を受けて、20日にアメリカのケリー国務長官とロシアのラブロフ外相がニューヨークで会談。ちなみにふたりの主導によって912日にシリアのアサド政権と反体制派の停戦協定が結ばれたばかりだった。それから1週間、すでに戦闘がまったくなかったわけではなく、かなり混乱した状況が続いていたみたいなのだけど、政権と反体制派の衝突にくわえて、テロ組織の介入があって、正確な分析は報道を追っていても不可能ですね。19日の事件を受けて、アメリカ国防総省がロシア軍かシリア軍の空爆だったと発表したのは、これに先立つかたちで17日に、アメリカ中心の有志国連合が、IS掃討の一環で、シリア東部デリゾールの政権軍の拠点を誤爆した、と考えられる事件があったのを受けてだろう。これにシリア政権と政権を支援するロシアが反発していたというわけだ。■しかし、不可解極まりないと思いませんか。ケリーとラブロフは停戦協定の協議を進めているんだから、下の人間たちの統率が取れていないわけでもないだろうし、テロ組織の動きは容易に掴めないけど、背後で状況を混乱させる勢力の存在を感じてしまいますよね。誰かが爆弾を落とさないと空爆にはならないんだから、誰かが停戦協定を破って爆弾を落としてるんだよ、当たり前のことながら。■代理戦争と化しているシリアはずっと気になってるんだけど、テロ掃討作戦の点では米露は利害関係が一致するので(と言って誰を過激派と認定するかは容易でない)、今回の停戦協定でも両国の空爆の調整センターをつくろうと意図していたんだよね。頭の悪い陰謀論に陥っていなければ、どうも米露のあいだを引き裂こうとしている勢力が存在するんじゃないか、とぼくは感じていますけれども、真相はどうでしょうね。20日にケリーとラブロフが会談したらしいのでひとまず安心したけれども、真相が判然としないままこういうことが続くのは異常でしょう。異常が日常化してしまっていて、へんなはなし、代理戦争を本域の世界戦争へ発展させようと思ったら、と言うかもう世界戦争なんだと考えてみてもいいんだけど、米露本国で政治家たちが騒ぎだせば、もっと戦火を拡大するのはそうハードル高くないと思うんだよね。アメリカにとってはドローンの戦争だし、自国軍の人的被害は減らせるわけで、戦争そのもののハードルがいっけん低くなってしまっている、にもかかわらず戦闘地域では武装が当然なんだから過激派かどうかなんて無化されるだろうし、大国が武器を落としていけば次の世代の過激派を育てることにもなるわけで、エスカレートすれば核という最終兵器の脅威がつねにあるし、で懸念せざるをえないよ。■悪の黒幕を想定するのはフィクション脳と言われてしまいそうだけど、誰かがやっとるんだからね。誰かがやっていないと、人道支援の車両が空爆されて、人が死ぬなんてことはないわけだから。それで戦火がひろがって得してる連中がいるのか、あるいは米露を引き裂いて政権か反体制派かのどちらかに勝利させたいのか、ぼくらは茶番劇を見させられているだけで、中枢にいるひとたちは真相を掴んでるのかもしれないけど、それならそれで、これ以上戦火をひろげないように動いてもらいたいけど、中枢のひとたちが黒幕そのものになっちゃうと最悪で、どうもね、ぼくの傾向としては、アメリカのほうに嫌なものを見ちゃうね。やっぱりネオコン的な民主主義の押しつけには無理があると思うよ。■そういえば、9.11のアメリカ自作自演説っていうのがあって、さすがに嘘だろうと思っていたんだけど、けっこう真面目に論証して主張しているひとたちがいるんですよね。真偽のほどはぼくにはわからないけど、真実なら悪夢と言うには簡単すぎる壊滅的な茶番劇で、想像して頭を勝ち割られた気分になったよ。でも権力をいかようにも操作できるとわかったひとのなかには、善悪の転倒した価値観を貫徹してしまうひとが出てくるものなのかもしれない、とも感じてる。正義感の憑依が完璧な悪意として表現されることってあるでしょう。ネオコンのすさまじい民主化への意欲は、外から見てると暴力にしか見えないけど、彼らにとっては正義以外の何ものでもないんだろうね。


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# by ninpu_ninjya | 2016-09-21 22:44 | 社会 | Trackback | Comments(0)

床屋政談の的ブレ注意

■いまだにナショナリズムそのものが批判されることがあるようだけど、もはやそんな場合じゃないようですね。トランプの出現も、たしかに過激なおじさんなんだけど、仮に大統領に当選したとして、ぼくが気になってるのは、彼がネオコンに取り込まれないかどうかだよ。共和党のほうがネオコンに近い印象があるけど、トランプの言ってることはネオコンの論理とも違うでしょう。対ロシアの考え方とかちょっと気になるよね。トランプはロシアに対して悪く言っていないはず。これけっこう重要だと思えるのは、ガチで戦争しかけている勢力がいるとして、それがネオコンの連中だとして(たぶんそうでしょう)、ロシアと親和的でないので、ロシアを孤立させて、戦火を切らせようなどとコソクな裏工作をしている臭いよね。血なまぐさいはなしで、真面目に戦争になる可能性もあるわけでしょう。それで言うと、おそらくヒラリー・クリントンのほうがネオコンに近しいんだよね、って思うと、もう何がなにやらわからなくなるけど、素人目にはもはや問題はアメリカ大統領がネオコンに取り込まれるかどうかだけのような気がしてきた。■トランプがおもしろすぎるので目を奪われるけど、ナショナリズムの台頭を問題の的にしていると、国際関係の視野からバランスが崩れるのが見えなくなっちゃうんだよね。決定的な崩壊は世界戦争だろうから、ここに至らないための道を選ぶのが最善のはずで、そう考えると、ネオコンを権力の中枢から遠ざけるほうがいいじゃないの、それだけじゃないの、って何度も言うが素人目には、そう思えるのですけど、誰が大統領になってもヤツラは来るもんだと考えたほうがいいんだろうか。■安倍内閣の対ロシア政策は、急激に進展していて、年末には何らかの成果を期待できる段階に入っているけど、これに対しても賛否両論あるようですね。領土問題に関しては大きいはなしだから、期待させておいて結果は何も変わらず、あるいはなんでこんな中途半端な、みたいなことになったとしても、今回のことをぼくは評価していて、それと言うのも、たぶんね、日露関係だけの問題じゃないのが、安倍内閣にはわかっているっぽいのよね。いや、中国をけん制するために日露関係を深める意図もあるとは思いますよ。けれどもそれと同じくらいに、ロシアの孤立を防ぐのが今いかに国際関係の上で重要かって視点をおそらく日本政府は自覚しているのではないですか。だから評価してるってわけ。■ロシアが孤立するとますますロシアを煽って戦争に引きずりだそうとする勢力が裏で動きだす仕組みになってるのよね。素人目の床屋政談以下の憶測ですから無責任に書いているだけですけれども、しかしどうもね、臭いね。近年の不可解な出来事をふりかえるだけでも、2014717日にウクライナでマレーシア航空機の墜落事件があって「新ロシア派の誤爆」みたいに言われたし、20151125日にトルコ軍がシリア領空でロシア機を撃墜したでしょう。国際社会でのロシアの孤立はかなり深まっていたところに、2016715日のトルコクーデター未遂。クーデター発覚の2時間前にプーチンがトルコのエルドアン大統領にクーデターの情報があると知らせたとも言われている。ロシアを孤立させたい勢力があって、プーチンもそれをわかっている気がするね。みすみす罠にはまらないのがさすがプーチンって感じするけど、このあたりは日本政府も自覚的に動いている気がするのよね。過大評価かな。■ロシアを一番口うるさく非難してきたのはアメリカなんですよね。オバマでも大統領になればそう言わざるをえなくなるわけだ。ロシアがいいとは言わないけど、結果的にどういう勢力の言いなりに成り下がっているかは考えたほうがよくはないか。これに対して、日露の平和協定は、ロシアを欧米へつなぎとめるパイプになるはずだから、相応の効果はあるはずよ。そしてそのことを日本政府は他国にうちうちの了承をえてるんじゃないかな。他国が突っぱねてなければ、まあ皆さんたぬきで、表と裏の顔を使いわけられるってことで、表面では「ロシアはいかん!」って言いながら、裏のこころではその言説がどういう輩の言葉を代弁してるかわかってるってわけだ。でないと日露の関係回復に了承なんかできないし、わかってるだけマシだと思うね。■なんでこんなこと書いてるかと言えば、今いろんな問題が起こりすぎて、目を奪われることがたくさんあるし、緊急事態が当然みたいにもなってるけど、いっぽうで国際社会の決定的な崩壊をぎりぎりのところで綱渡りして、バランスを保っているよね。一歩間違えば世界戦争に入ってもおかしくないとマジで思える状況だよ。日露関係の回復はその微妙なところに関わる問題かもね、って思ったのでした。以上。


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# by ninpu_ninjya | 2016-09-21 00:43 | 社会 | Trackback | Comments(0)